マネーフローの世の中にて

お金持ちは何故お金持ちなのか?
という疑問について考えてみたり
私なりの考え方を述べてみたり

お金持ちの特徴

・その1:お金の流れに乗っている
 →お金が動く所に上手く関わっている
  (例えば家賃や手数料を取ったりと
  賃貸の大家さんや貿易商っていうのは
  上手いと思う)


・その2:お金を生み出すモノゴトにお金を使う
 →直接に効果のないモノゴト(例えば情報料)や
  水物(技術の進歩で陳腐化するようなモノ)は
  買わなかったりしているようで


・その3:『仕事』の意味が労働者とは違う
 →『仕事をする』のと「時間の切り売り」は
  別と考えているようで
  絶対に時間の切り売りはしないようですな。。。
  (『「労働した人間がお金を得る」のではない。
   「お金を得る様に動いた人間がお金を得る」のだ』
   っていうのは名言だと思う)

経済システムを受け容れてしまった私たちは

お金というモノが出来る前は
物々交換の世の中だったワケだ
その時代になら
『働かざるもの食うべからず』
という金言は通用したかもしれない


ある者は野菜や果物を
ある者は肉や卵や牛乳を
またある者は魚を
市場に持ち寄って交換したのだ


そこには
収量が安定しなければ生活は安定しない
というリスクがあったのだ
そのリスクを減らすために
人々は工夫をした
大きな労働力が必要な仕事の時には
一緒になって力を出し合い収穫を分け合うという
相互信頼のカタチ*1があったのだ


今はどうなのだろう?
お金とは
労働力を提供する見返りに得られるもの
と考えてきた
けれども今は。。。
銀行にお金を預けたり
人にお金を貸せば利息が得られ
為替の差額や株式の売買
果ては農作物や鉱物の取引予定まで
お金が生み出せる仕組みが出来てしまった
ソレに関わった人々は
リスクはあったとしても
労働力を提供したといえるだろうか?



そしてもう一つ。。。
共に働き分け合う相互信頼は
今の世の中に残っているのだろうか?


私は
すでに消え去ってしまったのだと思う*2



だから私はこう言いたい
『自らが生き残るために動かぬものは
食えなくなって当然*3
ってね

*1:例えば「結(ゆい)」というシステムが日本にはある

*2:だって私と一緒に働きたい(=リスクと労働力を共有したい)と考える人が見つからないのだから

*3:働かざるもの云々と同じ事を言っている。大事なのは『働く』の考え方