興奮

当事者*1と介護者の双方にとって
よりよい介護のためには
『問題行動』は誰にとっての『問題』なのかを深く考えるべきだ
BPSDの多くは全ての人に現れうるのだから


さて
BPSDの一つとされている興奮について
私の思う所を書いてみる

興奮に到る心理の考察

例を挙げて考察してみよう


・例えば
 あなたが何者かに拉致されたとする
 目隠しをされた上に眠らされて
 連れてこられたのは見覚えの無い場所
 周囲に居るのは知らない人ばかり*2
 その人たちは
 自分の住む場所は此処だと言っている*3
 危害を加えられる事は無さそうだとしても。。。


 その時あなたは
 「なぜ自分は此処に居るんだろう?
  此処はどこなんだろう?
  自分が落ち着ける居場所は
  どこなんだろう?」
 と考えるのではないだろうか?


 知らない人達や知らない場所なのだから
 さぞかし不安に思う事だろう
 周囲の人達は大丈夫だと言っているようだけれども
 本当に大丈夫なのか?と安心感が揺らいだ時に
 不安が深まるのではないだろうか?


 人の顔や名前が新しく覚えられない*4なら
 その不安はなおさら加速するに違いない


 不安で押しつぶされそうになった時に
 人はどうなるだろうか?
 多くの人は助けを求めるために
 叫んだり暴れたりするのではないだろうか*5


・例えば
 あなたにとって最も重要で他に誰も知っている人が居ない
 秘密があるとする


 それを思い出さなければならないのに
 どうしても思い出せない時
 寝ても覚めても
 それが何だったのかについて考え続けたり
 必死になってタンスを掻き回したり
 日記を読み返したりするかもしれない


 それでも思い出せないとしたら?

対処法の考察

 医療現場的には向精神薬の投与で鎮めるらしいけれども
 根本的な対処法は無い(身も蓋もないけれども)


 それゆえに介護者は
 当事者が不安を感じるような発言や行動に
 最大限注意しなければならないし
 安心感を与えられる介護*6に努めるべきだろう


 もしそういう出来事が起きてしまったのなら
 関係を修復するのには努力が必要になるだろう
 なにしろ当事者にとっては
 不安が払拭されない状況が続くのだ


 それは介護者が身内であっても起きうる*7

どうするべきなのか?

 不安とは
 ヒトが生きていく上で避けられず
 なんとかして避けようとするストレスの一つだ


 高齢者に限らず全ての人において
 不安を覚えるモノゴトというのは
 ある日突然に起きるものではない


 もしも当事者が
 漠然とした不安を持っているのだとしたら
 放置しないでいる事が必要だと思う*8



 不安を感じさせない介護というのは
 とても難しい事なのかもしれないけれども
 実はツボがあるのだ*9

*1:介護ギョーカイでは利用者と呼ばれる。医療ギョーカイでは患者と呼ばれる。私はこのBlogでは当事者と呼んでいる

*2:さらに感覚失語(ウェルニッケ失語)が起きている人ならば「周囲に居る人たちが何を言っているのか解らない」状況となりうる

*3:短期記憶障害が進み失見当識が起きている状態で施設に入れられたり引っ越しをさせられたりするのは、このような状況なのかもしれない

*4:記銘力や想起力の低下だけでない。脳には人の顔を認知することに特化した領域があるらしい。ちなみに私は人の名前を覚えるのが苦手だけれども一度観た顔は二度と忘れない

*5:度胸のある人なら違うのかもしれない

*6:「快護」という表現がある。いい言葉だと思う

*7:当事者の中では「私の娘や息子/私の妻や夫に似ているけれども知らない怖い人」となってしまう(誤見当識)かもしれないのだから

*8:日常の会話において不安を訴える話が出る事がある。それを聞き逃してはならない

*9:これまでに何度か書いている事にヒントがある