全てを疑う時、

信じる事ができるのは、
『全てを疑う私という存在』だけ。
これが、この日記のタイトルの由来。


信じること、希望を持つこと、愛すること、
それら全てを疑った果てに信じられるのは、
『全てを疑うことができる私という存在』。


確かなことなんて、どこにも無い。
先が見えないから前に進めない、というのなら、
何一つできないじゃない?